2011/07/09

アンドロイドの話をしようか

人の第一印象は3秒で決まるってよく言われていることだけど、

僕はだいたい遅くても2秒ぐらいでその人がアンドロイドかアンドロイドでないか

と言うのを判断できる。自慢するわけじゃないけど、これは訓練によって得られるものではない。

好む好まずに関わらず最初から備わっていて、僕にはそれがわかった。

つまり持って生まれた才能というやつだ。ちなみにこれは携帯電話の話ではない。



アンドロイドは個々差はあれど、独特の雰囲気を身にまとっているし、

独特の性格、独特の体型、独特の顔を持ち、独特の話し方をする。

それらは洗練されたものと言っていいと思う。

矛盾や齟齬やジレンマや無駄や余計と言うものがないし、

それ以上そこにあると邪魔なものは改良に改良を重ね、徹底的に排除されている。

完全完璧完成品なのだ。

アンドロイドが哲学的問題についてあれこれ悩むことはない。必要がないからだ。

例えば、我々はなぜ生きているのか、どこから来て、どこへ向かおうとしているのか

なんて考えることはプログラムされていない。見た目さえ人に近ければそれでいい。

ある特定の目的のためだけに生まれ、生産工場から来て、

目的を果たすと、スクラップ工場へ向かうように出来ているからだ。もちろんリサイクルされる。



アンドロイドと人の見分け方について具体的に書くつもりはない。

なぜならアンドロイドだって、泣いたり、笑ったり、彼女とデートしたり、

充電による食事をしたり、電源オフによる睡眠をとり電気羊の夢を見たりして、

平穏無事に人のふりをして生きているからだ。それを脅かす権利は誰にもない。

実は彼女がアンドロイドだったと知ったところで、何か得することがあるわけじゃないし、

やっぱりちょっと今までと接し方が変わるでしょう。それは僕の望むところではありません。

アンドロイドの方も人の権利を脅かすつもりは今のところないようだし。



ところで読者のみなさん、かく言う僕も、

二十数年の人生の中で限りなくアンドロイドに近い人は幾人か見てきたけれど、

本物のアンドロイドにはまだ会ったことがありません。

アンドロイドではないと判断された人は数多くいますが、

アンドロイドであると判断された人はまだいませんので安心してください。

アンドロイドでないと判断できる才能は存分に発揮されておりますが、

アンドロイドであると判断できる才能は今のところ発揮されてないってことです。

ほんと、才能ってあってないようなものですね。


(余談ですが、僕の好きな哲学者・中島義道氏(よしみっちゃん)は、

「なぜ生きるのか」という問いにこんな感じで答えていたと思います。

「なぜ生きるのか、我々はそれを知るために生きている。」うーむ、さすが哲学者。)

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