2011/07/12

ありふれた風景

会社帰りに娘を保育園まで迎えに行くのがサトウの日課だった。

国道に面した娘の保育園は駅から自宅までの間にあり、

保育園から自宅まで娘と手をつないで帰るのがサトウの唯一の癒しの時間だった。

18時30分。いつもよりお迎えが少し遅くなってしまった。

保育園前の横断歩道で信号待ちをしていると、門のところで保育士と手をつないで

待ちわびている娘が見えた。

娘のほうもサトウを視界に捉え、パパーと言いながら保育士の手を振り切り、

こちらに向かって走ってくる。

信号がちょうど青に切り替わる。それを確認したサトウが歩きだそうとしたときだった。

神様が指をパチンと鳴らす。

横断歩道の中間に差しかかった娘を黒い影が連れ去った。かのように見えた。

娘へと差し出されたサトウの手は捉えるべき手を捉えられずに空間を漂う。

何が起こったのか、思考が状況に追いついてないサトウの表情は、

笑顔のまま凍りついている。

誰よりも先にその状況を理解した保育士が悲鳴をあげる。

悲鳴に呼び戻されたサトウの思考はようやく状況に追いつく。

娘は、車に轢かれ、30メートル先のガードレールに引っかかっている。

サトウの思考は、まだ言葉と行動に追いついていない。

運転席から若い男性が降りてくる。

喫茶店でウエイターでもしていれば好感のもてそうな男だ。

彼の思考も言葉と行動に追いつかず、その場に立ち尽くしている。

神様がもう一度指をパチンと鳴らす。

助手席からサトウの妻が降りてくる。いつもより化粧が濃い。

妻も彼と同じように停止している。

サトウは妻を見て、娘の方向を見た。

サトウの開いた口からこぼれ落ちた言葉は、「おお、神よ・・・」だった。

その言葉を聞いた神様は満足し、もうその状況に関与することをやめる。

あとのことは知らない。

神様はときどき自分の存在を確かめるため、罪なき人々に関与し、

その力を行使し、災いをもたらす。

たったひと言、自分の名前を呼んでもらうためだけに。

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